四十からの男には、二種類しかいない

二十年、男たちを見てきて、確信したことがある。

男には、二種類しかいない。

「相手の世界が見える男」と、「自分の世界しかない男」だ。

二十代では、その差は、ほとんど見えない。
三十代でも、まだ言い訳ができる。
しかし四十を過ぎる頃、その差は、致命的になる。

私は、ある二人の男のことを、今でも覚えている。

一人目の男

四十六歳。家業を継いだ若手経営者だった。整った顔立ちで、実年齢より七つも八つも若く見えた。物腰は気さくで、初対面の私は「この人とは仲良くなれそうだ」と素直に思った。

二人で食事に行った夜、その印象は、五分で崩壊した。

何を話しても、彼は決めつけてきた。私の話を、私の言葉で聞かなかった。「つまり、◯◯ってことでしょ?」と、自分の解釈に置き換える。違うと言っても、また自分の解釈に戻ってくる。

夜が深まるにつれて、彼はホテルに行きたがった。私が断っても、彼は引かなかった。それどころか、私が嫌がっているのを「恥ずかしがっている」と解釈し直して、しつこく誘ってきた。

その夜、私はひとつの確信を持った。

この男は、私のことを、見ていない。

帰りの車の中で、私は彼の人生を想像した。
若い頃から女性に好かれてきた男。整った顔と家業の権力。彼は、女性に好かれるための努力を、一度もしたことがなかったのだ。

四十六歳。バツなし、独身。

普通、結婚と離婚を一度通過すれば、人は「自分は思っていたほどモテない」「相手を見ていなかった」という痛みに、強制的に出会う。それすら、彼にはなかった。


ここで、あなたに問いたい。

最後に、あなたが、誰かに本気で困らされたのは、いつだろうか。
最後に、あなたが、誰かを本気で困らせたのは、いつだろうか。

その記憶が薄いなら、あなたは、彼に近いかもしれない。

二人目の男

もう一人の男は、四十歳の友人だった。

彼は、いわゆる「ものすごい遊び人」だった。複数の会社を経営し、結婚していて、なお他の女性と付き合っていた。道徳的には、立派ではない。

それなのに、彼が関わった女性は、誰一人として彼を恨まなかった。修羅場にもならなかった。円満に離婚した数ヶ月後には、新しい妻が彼の隣にいた。

私は、彼の所作を、観察したことがある。

待ち合わせの瞬間

彼は手を振らなかった。
彼はこちらに気付くと、近づきながら声をかけ、ほぼ同時に私の肩にそっと手を置いて、当たり前のように一緒に歩き始めた。

「合流」と「挨拶」と「歩き出す」が、ひとつの動作になっていた。

私が「合流したな」と意識する隙すら、彼は与えなかった。

注文の場面

彼は「何にする?」と聞かなかった。
会話の中から、私の好みを引き出した。私が「ああ、◯◯って美味しそうだなあ」と何気なく漏らすのを、聞き逃さなかった。
店員が来た時、彼は私に確認することなく、それを注文した。

私は、決断していなかった。
それなのに、私の欲しいものは、目の前にあった。

エスコートされている、という感覚ではなかった。
ただ、「え、すご」となった。

それが彼の異常さだった。

気を遣われている、と気付かせない。気付いたら、すべてが整っていた。

そして彼は、既婚であることを、隠さなかった。

「楽しい時間を一緒に過ごせたら嬉しいよ」

その一言だけ言って、あとは相手に委ねた。
強制しなかった。決めつけなかった。
だから女性は、自分で選んでいる感覚があった。

騙されているのではなく、選んでいる。


ここでも、あなたに問いたい。

あなたは、相手の好みを、会話の中から汲み取れる男だろうか。
それとも、「何にする?」と聞いて、決定の負担を相手に渡す男だろうか。

対比

道徳的に言えば、二人目の男のほうが、ずっと「悪い」男だ。彼は不貞行為をしていた。倫理の物差しでは、失格だ。

それなのに、女性が「私のことを、見ている」と感じたのは、彼のほうだった。

ここに、男女の機微の、難しさがある。

道徳と、対人運用能力は、別の話なのだ。

一人目の男は、立場としては「真っ当」だった。独身で、バツもない、家業を継いだ経営者。誰から見ても問題のない男。それでも、彼は女性を不快にした。

二人目の男は、立場としては「失格」だった。それでも、彼の周りには笑顔が残った。

理由は、ひとつだけだ。

一人目は、自分の世界しか見ていなかった。
二人目は、相手の世界を、ちゃんと見ていた。

それだけのことが、二人の運命を、決定的に分けた。

なぜ、こうなるのか

一人目の男は、なぜ、こうなってしまったのか。

彼は、悪人ではない。本人は自分のことを「普通の男」「ちゃんとリスペクトしている」と、本気で思っているはずだ。

しかし、彼が「ちゃんとしている」と思っていることは、こうだ。

待ち合わせで、手を振り、相手をこちらに歩かせる。「どこ行く?」と聞く。
お店で店員を呼ぶ。自分の分は、自分で頼ませる。

形だけは、男としての役割を果たしているように、見える。
しかし、本質的な配慮は、ゼロだ。

サボっていることに、本人は気付いていない。

なぜ、気付かないのか。

答えは、シンプルだ。

彼は、困ったことがないからだ。

困る、ということは、執着するということだ。
誰かに本気で好かれたいと願って、それが叶わない時、人は初めて「自分」と向き合う。「相手」を発見する。

一人目の男は、それを経験していない。
友達はいる。趣味もある。飲みに行けば女性とは知り合える。
だから、誰か一人に、こだわる必要がない。
誰かに深く必要とされた経験も、誰かを深く必要とした経験も、ない。

知らないことに、人は、気付けない。
自己中とは、性格の問題ではない。経験の問題なのだ。

彼にとって、「自分の世界」が、世界の全てなのだ。
他の在り方があるという発想すら、ない。


これは、糾弾ではない。
むしろ、深い哀れみを持って、書いている。

一人目の男の人生は、表面的には、うまく回っている。
誰も彼を、本気で困らせない。
彼の決めつけに、誰も真剣に怒らない。

そして、誰も彼を、本気で愛さない。

彼自身が、誰かを本気で愛したことが、ないからだ。

これは、最も静かな悲劇だ。

それでも、男は変われる

二十年、男女の機微を見てきて、確信していることがある。

男は、変われる。

ただし、ひとつだけ、条件がある。

本気で、誰か一人に、執着したときに、だけ。

執着とは、自分の魅力だけでは足りない、それでも欲しい、と願う経験のことだ。
その時、男はようやく、自分以外の現実があることに、気付く。
相手の世界を、覗き込もうとする。
相手の言葉を、ちゃんと聞こうとする。

それは、苦しい経験だ。
今までの「自分の世界で完結する人生」が、初めて崩れる。

しかし、その崩れこそが、男を、深くする。


四十からの男には、まだ、間に合う時間がある。

ただし、その時間は、「困ること」を、自ら引き受けた者にだけ、開かれている。

あなたは、どちらの男に、なるだろうか。

── 紫

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